もったいないオバケ

もうずいぶんと昔の話になりますが

テレビの公共広告のヤツで「もったいないオバケ」ってのがありましたね

「モノを粗末にするとオバケになって出てくるよ」って感じの子供向けのコマーシャルでしたね

その後も「日本のmottainaiは素晴らしい言葉だ!」みたいに世界から称賛されたりしましたね

 

モノを大切にする事はとても良い事だと思います

 

が、しかし 1歩間違えると、とんでもない事になるよな〜と

もっと恐ろしい「もったいないの亡霊」の存在に気がついてしまいました

 

いわゆる「サンクコスト」の回収に囚われた「もったいないの亡霊」は時として人を暴走、迷走させます

 

例えばご時世のコロナ騒動

もったいないの亡霊と同調圧力が融合すると「オマエのせいで皆の努力が無駄になるんだ!」と魔女刈りが始まります

「和」を乱す側に問題があるのが大半だったはずが

「他県ナンバーへのいやがらせ」や「店舗への脅迫めいた貼り紙」などエスカレートする「正義」が問題になり始めました

挙げ句の果には不要不急のパトロールを繰り広げる本末転倒な「自粛警察」と呼ばれる方々

自粛によって奪われた自分の自由を「無駄にしたく無い」と言う考えが根本にあるのでは?と思います

根は「マジメ」な人達なんだとは思いますが、その「こじらせた正義」が他者への攻撃へと向かってしまうのは大変もったいない話です

あと、自粛要請解除とともに行楽地に押し掛ける人達も「不自由だった時間を取り戻したい」と言う心理なのでしょうね

大変もったいない人達です

 

その「もったいない」を埋め合わせようとする為のコスト(時間、お金、感情など諸々)は本当に見合ったものなのか?

今一度、冷静になって考えてみると、実に馬鹿馬鹿しい行動をとっていることに気付くことがあります

 

人は「見返り」を求める生き物なのでしょうね

 

 「あんなに尽くしたのにフラレた」

 「頑張っているのに認められない」

 「高いルアーを買ったのにちっとも釣れない」

 

 

それを「損」として悲観したり誰かをやっかんだりするのでは無く

 

「釣れない時間もそれまた釣り」

ってな感じで無駄やまわり道を楽しめる人間になりたいものです

 

そして合理的な「損切り」も時には必要なのでしょうが

そればっかりじゃ人生楽しくないと想います

 

コンコルドはサンクコストに囚われた「負の産物」だったかも知れませんが

めちゃくちゃカッコいいじゃないですか!

 

「もったいない」に囚われない生き方も時には必要だと思います〜
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